詩集「みにくい象」より
みにくい象 靎見 忠良
わたしは目を閉じている小さな象である
喧噪そのものの夕暮れの往来を
ゆうゆうと歩く象である
わたしがみにくい小さな象ならば
あなたがたはいったいなんだろう
路上にちらばるあなたがたの影を
わたしは知らない
ただあなたがたの足音に
地を踏みしめるなどという
そんな真実めいたひびきを
わたしはふれることができない
あなた方の無限大にとどくすばらしい視野を
わたしは知らない
ただあなたがたのまじめな言葉の世界にさえ
そんなぼうぼうとしたひろがりを
わたしはふれることができない
二つの耳を帆のようにいっぱいに張りながら
自由に鼻をくゆらせながら
暗い町の入口の中へ
わたしは歩んでいく
「心象」228号より
暑いですなー 長谷目 源太
「暑いですなあー」
「本当に、暑いですなあー」
道に職場に
駅にマーケットに
ブツブツブツブツ
不平たらたら
本能むき出しの
全くやり切れぬほどの
「暑いですなあー」
「暑いですなあー」
の
氾濫
おびただしい不幸や
度重なる拒絶や
恐怖にも通じた無関心や
そんな日々の集積も
もう三十回め
しかも
ぼくたちといえば
いつもこの日に
いつもこの膚に
熱くギラギラ射し込む
殺りくの光線を感じ
あの一瞬の
歯を空虚に押し開き
崩れる脳髄の
底知れぬ痙攣の音を感じ
ありとあらゆるものの熱度を超えた
はり裂けるほどの熱さを感じ
すさまじく熱いのだから
手や足や凍え縮んでしまうほどに冷たい
もうこれ以上渇きようがない位
「座」71号より
私の言問橋 伊藤 阿二子
長い橋の中ほどで
欄干からのぞき込む
夕闇に紛れてゆく黒い水が
ひたひたと漣を立てて流れる
後ろをひっきりなしに疾走する車列が
轟音を立てて去っていく
足元で橋床は震え続けている
日が沈み
雲の上では何が起きているのか
今日の夕空は 全天泣き腫らしている
夕映えのちぎれ雲はみんな
西へ西へと向かって掛け去る生き物になって
それぞれの思いを乗せて跳ぶ
すべては移り変わる
変わらないものは何もないのに
脚に伝わる震えは
いま生きて ここにあることの不確かさと
不安と畏れを呼び覚ます
これでよかったのだろうか
胸の内でいつもの問いの繰り返し
そこかにある筈の答えが
きょうもまだ 見つからない
「FLYING]66号より
陰画 幸 幹男
叫びたい夜の匂いに満ちたまだ青い秘密を抱き
(たしかにそれは )
うつぶせるきみから生まれるものは
( であるかどうか)
美しく新しい影の偶然あるいは必然の結果で
あるか
( と の)
罵り合い殺し合う歴史を演じた
(ひとつの記号にすぎないくらしの)
まるい肉体を持つものだけが
決算書に捺印する
ひとは長い管でできているので
(ひとりごとの )
夥しい病歴を抱えて小走りで走る
喧騒の闇を貫いてきみの名を呼ぶ
わたしは液体の末裔だろうか
唇から洩れるものを塩蔵する
(たしかに だから)
ひとは自分の分子のひとつぶひとつぶを
なぞっていく
(あるいは でさえも)
叫びたい夜の窓の外は雨
そして朝にはまだ遠く
(いまだ誤字脱字にあふれる日々の)
「わたしは、わたしに見えるものと
同じ大きさ!」といったのは誰か
( )の中で
かたちの揺らぐ時間を正しく筆写し
まもなく叫びたいほどの夜の窓に
黒いかたちが広がっていく
(反転した自画像よ)
暗室の遠近法の蔭で昼寝をする
「 」はフェルナンド・ペソア「不安の書」
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